華岡青洲の妻(増村保造,1967,日)

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(ネタバレ含みます)

増村保造が撮った”嫁姑映画”(そんな言葉があるのなら)の白眉。観たのは二度目。最初に映画を観たあとに原作も読んだが、割合と原作に忠実にシナリオ化されていると感じた記憶がある。

 

有吉佐和子の原作を読んだ監督の増村保造は会社に企画を持ち込んだが地味で興行性に乏しいという理由でいったんは却下されたらしい。納得のいかない増村は企画会議の席上、この小説がいかにすばらしく、良質の映画になる題材かを力説したが、社長も重役たちも首を縦に振らない。散々喋ったあげく、言葉に窮した増村は「社長、私はこの作品を命がけでやります」と迫った。命がけというオーバーな表現に出席者から笑いが起きたが、永田雅一社長が「増村がこれほどまでやりたがってるんだ。やらせようじゃないか」と宣言したという。(『映画監督 増村保造の世界』(ワイズ出版)より)

 

ぼくはこの逸話をとても気に入っていて、一度でいいから勤め先の社長に「社長、わたしは命がけでやります」といってみたいのだが、諸般の事情により残念ながらその機会は今日まで訪れていない(笑)。増村保造の映画への情熱と映画の主人公華岡青洲の医学への情熱がオーバーラップしていておもしろいエピソードだと思う。

 

大映の人気女優若尾文子と少し上の世代である大女優の高峰秀子との共演。若尾文子はすばらしい女優なのだが、他の女優と共演すると魅力が削がれてしまうと思うのはぼくだけだろうか(理由はなぜだかわからない)。『夫が見た』(1964)『卍』(1964)の岸田今日子、『妻二人』(1966)の岡田茉莉子などもそうだったが、この映画でも於継(おつぎ)を演じた高峰秀子の方が抑制された演技が冴えているように感じる。

 

増村独特のシネマスコープサイズの画面をわざと狭く使ったショット(一度でも増村の映画を見たひとはわかると思うが、家の中のシーンでは、襖や壁が画面の大部分を蔽ってしまう)の連鎖をつかって、ややもすると単純な対立構造で描いてしまいそうな嫁姑問題を、細かなシーケンスを積み重ねることで描いていく増村の力量には脱帽。そこには撮影を担当した小林節雄の黒白コントラストを強調したモノクロ画面の美しさが大きく寄与していると思う。また、新藤兼人のシナリオも良くできていると思う(この人が監督した映画に感動したことは一度もないのだが)。もっとも勝手にシナリオを書き換えて脚本家を怒らしたという逸話のある増村のことだから、このシナリオにも手が入っている可能性がある。

 

 八歳のときに垣根越しに初めて見た美しい於継(高峰秀子)に憧れ、祖父の葬儀に焼香に訪れた於継を見て、加恵(若尾文子)はさらに思いを募らせる。焼香を済ませた於継がふと眼をあげて、一瞬加恵と視線を交わすシーンはこの映画の序盤でありながら絶品! それにしても人間の憧れの気持ちが、徐々に、あるいは何かを契機として(この映画では、結婚当初は嫁姑うまくいっていたのに、皮肉にも於継の息子にして加恵の夫である市川雷蔵演じる華岡青洲が医学の修行を終えて京都から帰ってくることが契機となる)、冷めてしまうというのは良くあることで、加恵にも於継にもまったく罪はないのだが、勝手に憧れられて、勝手に冷められて、勝手にライバル視されて、最終的には負かされてしまう姑の於継に同情してしまうのは、ぼく自身齢を重ねて、憧れなんていうものの他愛のない性質に気づいてきたからかもしれない。

 

増村保造というと”リアリズム”といわれるが、グロテスクなものを被写体としてリアリティを描くことがよくある。『赤い天使』(1966)や『盲獣』(1969)同様に、この映画にも即物的で残酷なシーンがある。華岡青洲が麻酔薬の効き目をたしかめるためにたくさんの猫を実験台にする一連のシーンががそれだが、今だったら動物愛護団体の指弾にあうことは間違いないだろう。もともと増村自身にグロテスクなものへの志向(嗜好?)があったのは確かなことだと思うが、これらのグロテスクなシーンが、妄執ともいえる青洲の麻酔薬への打ち込みようをよりヴィヴィッドにあらわしているのは間違いないと思う。

 

1961年4月上旬号の「キネマ旬報」に増村 保造は「私の演出態度」というエッセイを書いている。《演出をするということは、自分のからだをさらけ出すようなもので、自分の過去、現在、環境、性格などといったものが、はっきり演出の中に出てきます。演出はストーリーを、ドラマを描くものではなくて、自分自身を描くようなものです。どんな作品を見ても、そこに演出家の人間を見ることができる、だから作品を鑑賞するということは、演出家の人間性を評価することにほかならない。逆に言えば、演出家の人間を感じないような作品は作品としてあまり上等なものと言えないでしょう》

 

そうであるならば、はじめにかえって、世界ではじめて全身麻酔の乳癌手術を行った華岡青洲という男は、この映画を撮りたいばかりに永田雅一社長に必死に食い下がった増村保造本人だといってもあながち間違いではないと思うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

含羞のかなたに

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「気恥ずかしい」というのは、もはや旧い世代の感覚のようだ。若い同僚と話していると、羞恥心とか含羞という言葉がまったくの死語になってしまったのではないかと感じることがある。あるいはそれはこちらの観察不足で、羞恥心を感じる対象がわれわれの世代とは変わってしまっているのかもしれない。

いい年をしてブログをはじめるなんていうのは、やはりどうしたって気恥ずかしいもので、できればこっそり人知れずはじめたいのだが、そんなことをいえば、じゃあ何のために公開するんですかと若い世代の率直で、もっともな問いにさらされることになる。

やはり公開する以上、誰かに読んでもらいたいし、できれば好意的なコメントがほしいとも思うのだが、それをあからさまにすることができないのは、あらためて考えてみると、われわれの世代の羞恥心とはなんの関係なく、たんに中年の厭らしさではないかと思ってしまう。

中年の優柔不断な含羞は、気もちがわるいのでこれを限りにやめることにしよう。映画、文学を中心にして、日常やニュースで感じたことなどを織りまぜながら更新していければと思う。ブログのタイトル「楽しみと日々」はプルーストの初期作品集からつけた。プルースト古代ギリシャの詩人ヘシオドスの『仕事と日々』をもじってこの作品集の題名を考えたらしい。『仕事と日々』にこういう一節がある。「仕事に励む者は、神と共にある幸せ者だ」

ヘシオドスの一節にこっそりうなずきながら、しかし、このブログは残念ながらヘシオドスとともにない。できれば「仕事」を「楽しみ」におきかえたプルーストを擁護するブログにしていきたい。