含羞のかなたに

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「気恥ずかしい」というのは、もはや旧い世代の感覚のようだ。若い同僚と話していると、羞恥心とか含羞という言葉がまったくの死語になってしまったのではないかと感じることがある。あるいはそれはこちらの観察不足で、羞恥心を感じる対象がわれわれの世代とは変わってしまっているのかもしれない。

いい年をしてブログをはじめるなんていうのは、やはりどうしたって気恥ずかしいもので、できればこっそり人知れずはじめたいのだが、そんなことをいえば、じゃあ何のために公開するんですかと若い世代の率直で、もっともな問いにさらされることになる。

やはり公開する以上、誰かに読んでもらいたいし、できれば好意的なコメントがほしいとも思うのだが、それをあからさまにすることができないのは、あらためて考えてみると、われわれの世代の羞恥心とはなんの関係なく、たんに中年の厭らしさではないかと思ってしまう。

中年の優柔不断な含羞は、気もちがわるいのでこれを限りにやめることにしよう。映画、文学を中心にして、日常やニュースで感じたことなどを織りまぜながら更新していければと思う。ブログのタイトル「楽しみと日々」はプルーストの初期作品集からつけた。プルースト古代ギリシャの詩人ヘシオドスの『仕事と日々』をもじってこの作品集の題名を考えたらしい。『仕事と日々』にこういう一節がある。「仕事に励む者は、神と共にある幸せ者だ」

ヘシオドスの一節にこっそりうなずきながら、しかし、このブログは残念ながらヘシオドスとともにない。できれば「仕事」を「楽しみ」におきかえたプルーストを擁護するブログにしていきたい。